鈴鹿医療科学大学公認運動系サークル

合気道について

まず始めに


皆さんに日本のメジャーな武道を挙げてみてくださいと尋ねると、柔道、剣道、空手道、弓道、そして最後に数名の人だけが合気道と加えてくれるでしょう。合気道という武道は皆さんが思っているほどそんなにマイナーなものではありません。特に、格闘ゲームに頻繁に、しかも密かに登場してきているのですが、一撃必殺の拳や華麗に舞う蹴り技などに埋もれてしまい、きれいにまるくさばき 相手を倒すことのできる武道がどんなにすばらしいものか、そんなにたいして注目してもらえていません。ゲームの中 では大きな力の入った投げ技や相手をねじ伏せる投げ技のほうが大ダメージを与えますが、現代においてゲームのように山にこもって修行したり鍛練するひとはほとんどいないはずです。そのことを踏まえてみると、自分にとって 武道を習うことは、異種格闘技戦にでることでもなく、戦場 に行くことでもない、ただ単に自分を守れるぐらい強くなり たいという最低限の気持ちの表われではないでしょうか。そんな大学生(違う気持ちを持った大学生も含めて)が全国的に各大学の武道系のクラブに多数入部して活発に活動しています。

現在の合気道の状態について


それではここで合気道の普及現状について述べたいと思います。   国内の外郭団体の中では、北を北海道から南を九州までさまざまな大学で大学生による組織が際立った存在をもっています。また、官庁、実業団などにも合気道団体がつくられ、防衛庁合気道連合会を中心に全国50個所にも及んでいるのです。さらに海外にも合気会 本部道場から各地に師範を派遣し、世界の67の国と地域にまたがって国際的な交流を積極的に行っています 。しかし、これだけの活動をしていても合気道の知名度が いまいち表面化してこないのは残念です。恐らく、その原因 の一つが試合形式による鍛錬法を採用していないことでしょう。試合によって自他相対立することは合気道の理念である"自他一体となって動く道理"に反することになるので、現代の力を競うスポーツになりきれていないのが実状です。



合気道の理念


演武大会


では合気道の理念の本質はなんなのでしょうか?   開祖の 子孫である植芝吉祥丸著の"合気道規範"によると以下の通りに説明しています。「合気道の創始者 植芝盛平翁によれば、合気道の「合気」という意味は気に合するということで、 天地の気、わかりやすくいえば自然の姿と1つになることであるという。したがって、合気道を通じて自分の動きの中に自然の極致を描き出すことができたなら、合気道技法の極意 を体得したことになる。自分が自然と1つになって躍動した場合、そこには泰山のような安定感ある美と調和の極致が表現されることになる。」   このように合気道は自然の道理に反することのない多彩な 動きから技が生まれてくる武道なのです。自然の道理に促した合気道の技法は、リズム感を富み、切れるが如く切れざるが如く余韻を残し、流れるように相手に溶け込んでいきます。日本の民族文化ともいわれる日本武術から出発しているので、相手と触れた一瞬のうちに相手を制するほどの厳しさが含まれている。このことは合気道の動きがつねに半身の構えから 出発し、相手が正面から攻撃しようとする線をはずして、相手の側面死角にはいる動き、言い換えると入り身の動作に表現されています。したがって、しっかり握られる前に相手をさばく動作をしなけばならないところに合気道の特徴を垣間みることができる。入り身、さばきの動作を端からみると調和のとれているすばらしさ に多くの人が惹かれるでしょう。さらに合気道にも剣をもって行う 鍛練はあるが、合気道の剣さばきは、あくまで体術のうごきを基準としたものであり、ある程度、体術としての合気道が身に ついてなければ合気剣も意味をなさない。しかし創始者が生前、 「合気道は体術だけではない。剣をもてば合気剣法となり、杖を持てば合気杖法となる。武芸十八般すべて、この合気道の 鍛練によって自在に通じるようにならなければ、この道を真に修行したとはいえない」といっているように、剣道の剣理と 合気剣法の理合いは、たいへん相通じるものがあります。要するに、合気道とは、自然との合致と相手との一致によって織りなす動作によって生まれ、武芸十八般に通ずる武道であることがいえます。

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